2度の大戦で戦術はどう変わったか 第2部 電撃戦 (part 2)

 さて前回話したように、この電撃戦という機動戦は非常に大規模な物である。ここまで大規模な機動戦を行うとなると、一つの問題点が生じる。まずは装甲部隊と言えど砲兵の支援無しに突破を図るのは非常に難しい点。これの何が問題かといえば、その重要な砲兵は、装甲部隊の全力の機動についていくことができなかったのである。では砲兵も機動力を高めればいい。その発想から生まれたのが自走砲であるが、これは開戦までに十分に用意することはできなかった。また自動車で砲を牽引する自動車化砲兵という選択肢もあるものの、こちらは展開速度に難がある。肝心なときに火力がたりないのでは、一番重要な機動力が阻止されてしまう。

 そこで某パラドゲープレイ者にはおなじみの、近接航空支援である。いくら車が速いと言っても飛行機の方が早いのでこれで解決である。こうして急降下爆撃機を大量に投入し、砲兵より精度が高く、また瞬間的には火力で勝る近接航空支援によって、縦深深くまで突入した戦車部隊を支援するのである。目標は敵部隊、砲兵、機動中の増援部隊等多岐にわたり、このような支援が得られなければ、装甲部隊と言えど、足止めを食い、火力で制圧され、追い返されてしまうことは間違いない。また航空部隊は、指揮系統の寸断、上をとられていることによる心理的影響等、様々な役割をもってくれるのだ。

 しかしながら、あくまで航空機は砲兵の補完であり、爆撃機が砲兵より優越している訳ではないことは注意しなければならない。航空支援とは、大規模に行わなければ持続力がなく、また空軍の管轄である、天候に左右される(全天候型の航空機が出現したのはごく最近である)、などの様々な要因のため、呼べばすぐきてくれるような存在ではないのである。さて、このような苦労を重ね、戦略的な機動戦を行う能力を得たドイツ軍であるが、機動戦の命はとかく、速度である。そんな部隊の指揮官が、わざわざ中央司令部まで随時連絡を取り、上級指揮官の判断を待っていてはどうなってしまうか?上級指揮官はそれだけ部下も多く、これらすべてに対応していると、貴重な時間がどんどん浪費されてしまうのである。ではどうすればいいか。有り体に言ってしまえば、「好きにしろ」、と任せてしまうのである。判断をその場にいる指揮官にある程度委譲してしまえば、かれらは自己判断で進むことができ、また上級指揮官もそこまで時間をとられずにすむ。装甲部隊の指揮官は、それぞれが独自に敵の弱点を探り、敵をより麻痺できるように突き進んでいく。このように前線の指揮官に判断をほとんどまかせ、柔軟に対応していくやりかたを、委任戦術と呼ぶ。

 もちろん他の軍隊においても前線指揮官への判断の委譲というのは重要であるが、ドイツ軍は特に顕著にこれを行うのである。また、判断と行っても、情報がなければ指揮官は何もできない。であるから前線指揮官には徹底した偵察の重要性が認知させられており、また情報を極力迅速にやり取りをするために通信装備も充実させたのである。また攻勢開始前に事前の航空偵察によって敵の陣容についての前情報と予測をたてておくのも重要である。そしてその情報から得た判断がいつもいつも防御や撤退であれば奥に突き進むどころの話ではない。であるから、ドイツ軍の装甲部隊指揮官には徹底した攻撃重視の思想が叩き込まれていたのである。それよりもなにより、このようなやり方には前線指揮官の高い錬度が重要になるため、教育は徹底された。こうした判断の委譲や通信装備の充実、積極的行動の推奨など、教育の成果による判断の高速化は勝敗を決定的にすることもあった。

 実はフランス戦でドイツ軍はアルデンヌを突破した後、装甲師団の突出に後続の歩兵部隊が追いつけずに、一時的に側面ががら空きになっていた時期がある。しかしながら命令系統の煩雑化という深刻な病に敵軍の撹乱工作が重なったフランス軍は、その隙をつくことができなかったのである。

 ところで、軍隊は兵站が第一である。この補給という問題には昔から皆悩まされてきたし、戦争を左右しかねない非常に重要な要素でもある。とくに装甲部隊は機動力を駆使して戦う性質上、その補給ももたもたとやっている暇はない。前回あげたシュリーフェンプランも、右翼部隊への補給がどうやっても追いつかないため、実現不可能であったというのが定説である。ただでさえ戦車は燃費が悪いところに、燃料がつきたとなってはせっかくの機動力も0となってしまうし、歩兵であれ戦車であれ弾薬がなければ立ち行かない。ドイツ軍は結局最後まで補給に悩まされることとなるが、それでも装甲部隊を維持できるだけのシステムを構築した。自動車化された装甲部隊に追いつくため、補給部隊も自動車化されているし、それでも足りない部分はいろいろと工夫しているのであるが、馬車や鉄道での従来の補給も含め、ドイツ軍は慢性的に補給が不足気味であった。また、そのような状況を少しでも改善するため、戦車部隊そのものもある程度の予備燃料を持って行動を行った。いまや家庭でもよくみるジェリ缶であるが、あれはもともとドイツ軍が燃料を持ち運ぶのに使っていた物だった、というのは有名な話である。補給が満足にできる国というのはたいてい元から余裕があるとはいえ、こういった努力があってこその、戦車部隊なのである。実際、末期のドイツ戦車は撃破よりも燃料切れで放棄の率の方が高かったのでは、と言われるほどである。

 最後に、電撃戦の全体の流れを振り返ってまとめとし、今回を終わりたいと思う。

 まず事前情報や偵察によって敵の配備を探り、その情報をもとに弱点に戦力を集中する。砲兵が準備砲撃を前線にしかけ、即座に装甲部隊が突入。さらに同時に事前に発見していた後方の重要目標への砲撃、航空攻撃を行い、これを撃破。砲撃や航空支援をうけつつ、装甲部隊が高い機動性を活かし、後方に浸透。さらに各自の部隊の判断で、弱点をみつけ浸透していき、補給路や退路の遮断、敵の式統制の破壊などを行いつつ奥へと進む。この間砲兵はとても追いつけないほど進撃したが、これを航空部隊がおいかけ、補助する。こうして進撃速度や状況の変化に対応できない敵は、遊兵化し、奇襲され各個撃破される。こうなってしまえば敵の防御はがたがたであるから、遅れて進む歩兵はこれをらくらく撃破し、進撃を続けることができると行った塩梅である。こうして敵が対応できない間に装甲部隊は中央司令部等の重要拠点に到達し、これを撃破、勝利が確定する。といった流れである。

 実際の戦闘を例にとれば、マジノ線と、シュリーフェンプランの再現をもくろむと予想する連合軍の待ち受ける北側の境、アルデンヌの森が弱点に当たり、ここに戦力を集中する。ここを装甲部隊が突破し、フランス軍が対応する隙をあたえず、北西に進撃し海峡に到達。こうすることで北部と南部は分断され、北部の主力はまるごと包囲される形となった。包囲した主力を撃破し、あとはいわゆる塗り絵の用な物である。

 以上が電撃戦の内容だ。

 さて、この電撃戦に真正面からぶつかり、勝利した戦術がある。次回。ソ連の生み出した最強の戦術。縦深戦術へと移ります。

とあるミリオタの覚書

適当にネットの海や各種書籍で得たうんちくを垂れ流すだけのものです。 基本自分で読むために書きます。 どこかで見たような内容が散見されるのはご愛敬。

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