なぜWWII前後のイギリス航空機は「英国面」か (part 4)

 さて、それまでの拡張計画というものは基本的に対独抑止力の形成を目標としたものであったが、国際情勢の緊迫に対応した「スキームL」は1938〜40年の間に本国空軍を2373機に強化、年間飛行機生産数を6000機に引き上げる完全な戦時計画であった。とはいえ、英国の財政事情ではいくら重要とはいえ航空軍備にそんなに予算をつぎ込む事は難しく、さらに計画には当然期限が存在する。そこで、一旦提案されたものの大規模に過ぎた「スキームJ」を、そう言った観点から見直し、規模を縮小したものが「スキームL」として採用された。「スキームL」の特徴としては、まず戦時体制のためその規模が大きいことの他、戦争必至の状況下で機種構成を再考した点である。戦闘機の要求機数が45%引き上げられ、他機種よりもさらに要求機数が増えているのだ。これは現実に対独戦を戦うためにはドイツ空軍の爆撃機を邀撃できる防空兵力が必要とされたこと、予算の都合で四発重爆を初めとする爆撃機配備計画を後回しにする判断を下したことによるものである。平時の航空軍備であれば大型爆撃機群はドイツに対する抑止力として極めて重要なものであるが、しかし実戦を目前にしているこの段階では防空、制空のための戦闘機が最優先機種となったのであった。
 結果的には、この方針転換があったために後のバトル・オブ・ブリテンでドイツ戦闘機隊を圧倒できるだけの兵力を整え、戦闘機の月産機数をドイツの2倍に持って行くことができたのであり、もし「スキームF」の延長線上で計画を立て、実行していた場合、航空戦の展開は苦しいものになっていたことだろう。世間には、「戦略爆撃を重視して四発爆撃機を早くから開発した」という英空軍の先見の明を称える声もあるが、現実には戦闘機重視に方針転換していたがために、戦闘機隊の強化をなんとか間に合わせ、本土に侵攻するドイツ空軍を打ち破れたという状況にも観れるのであるから、そこまで単純な話でもないのだ。英国の航空機工業は「スキームA」「スキームC」の要求に対しては自社工場の操業強化と民間向け生産能力の軍需への転換で対応していたものの、「スキームF」の要求はその限界を超えていたため新しい施策が必要になってきた。そこで、前回も述べた製造会社のグループ化体制を開始し、それでもなお足りなかった生産能力を、航空機工業界の外に求めたのであった。これが序盤で語った「シャドー計画」の正体である。

 グループ化とシャドー計画は軍備計画の達成に十分に貢献したが、製造会社のグループ化というのは、機種の標準化という功罪相半ばする特徴を持った。英国の多くの製造会社は戦時中、自社設計ではなく、他社設計の現有機の量産にその生産能力を投じていたため、ボールトンポール、ブラックバーン、ウエストランドなど、多くの会社が既存の機体の増産に力を注ぐこととなった。もともと英国の航空機工業は小規模会社の集合体であったため、現有機の増産計画の消化だけでどこも手一杯のまま戦争半ばまでを過ごしてしまうこととなった。この影響をもろにうけたのが艦隊航空隊と沿岸航空隊で、どうみても旧式な「アルバコア」が生産に入り、さらに旧式な「ソードフィッシュ」の生産がいつまでも続いた原因は、製造会社のグループ化、機種の標準化という、理念としては合理的な判断にあったのである。そして、そこまでしてもなお足りない生産数を、性能的に不満足な機体の生産で生めるという措置がとられることとなった。「グラディエーター」のような複葉戦闘機が、「ハリケーン」や「スピットファイア」に混じって生産された理由はここにある。しかも「スピットファイア」自体が、前に書いたとおりの経緯で採用されており、増産計画達成のために機種を標準化しようとしたものの、すぐに旧式化してしまい、それでもたりない生産能力を、不本意な新型機の採用という形で補ったため、機種がちっとも減らないという苦しい事情がここにはあるのである。つまるところ、すべて合理化、標準化の副産物であり、懐古趣味でも保守的思想でもなんでもないのだ。

 また、自動車工業界を取り込むという画期的なアイデアである「シャドー計画」も大きなマイナス面を生み出した。それまで飛行機を作ったことのない工場に新しく生産設備を整え、量産に入るにはさまざまな器具の調達が必要であるが、親会社には十分な供給能力がなく、ただでさえ時間のかかる生産転換をさらに遅らせる結果となった。これによって、生産される機種が工場を出始めるころにはすでに機種が旧式化している・・・という自体が発生することとなった。そんなマイナス面が「ブレニム」のような中途半端な軽爆をいつまでも生産するというような事態の原因で、こういった事態をふせぐため、後期の計画では、現有機ではなく、試作中のものに対して準備されることとなるが、これにもまた問題が生じてくる。それは試作の難航、失敗である。「ハリケーン」、「スピットファイア」の後継機として、「トーネード」、「タイフーン」が計画されるものの、機体にも発動機にも問題があり、結局「トーネード」は中止、「タイフーン」は凡庸な性能に仕上がってしまう。主な原因はネピアの発動機「セイバー」の不調であるが、それと同時に、「セイバー」をライバル視するロールスロイスが見込みの薄い「バルチャー」を放棄、標準設計の「マーリン」の発展型、「グリフォン」を既存の「マーリン」装備機の換装用として航空省に提案、さらにその性能が「タイフーン」を上回ったことが「タイフーン」の生産計画縮小の要因となっている。航空省としてはグループ化、および「シャドー計画」で苦労して大量生産体制を整えた既存の期待の性能を一新し、寿命を延長できるのはこれ以上なく良いことであるから、「スピットファイア」の大量生産は終戦までそのまま促進され続けることとなる。こういった意味では、ロールスロイスのビジネスセンスは抜群であったといえよう。

 こうしてみると、グループ化による機種の標準化、「シャドー計画」による大規模転換生産政策、どちらもやるべきときに開始され、結果的に必要な兵力を供給できたという点で批判されるべきことではない。しかし、その計画のマイナス面というものは確かに存在しており、本来望まぬ性能の機種、旧式機などの生産継続という問題が生じているのであるが、これは航空省の失策というより、航空機発達史的に見て1930年代半ばというものは飛行機の性能面での躍進期にあたったということも大きく影響している。次々と画期的性能の機体が生まれる時代において、機種を標準化する、という思想は上手くマッチしなかったのである。その後、1930年代末に採用された機種が改良を重ねることで終戦まで第一線で活躍することを鑑みれば、この時代の流れの速さというものが感じられるのではないだろうか。


次回、まとめに入ります

とあるミリオタの覚書

適当にネットの海や各種書籍で得たうんちくを垂れ流すだけのものです。 基本自分で読むために書きます。 どこかで見たような内容が散見されるのはご愛敬。

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