なぜWWII前後のイギリス航空機は「英国面」か ー勝ったのはどちらか?-

 さて、イギリスの航空機工場界は1930年代半ばからの大増産に対応しきれず、1937年には限界に到達、完成機数の伸びが鈍化してしまう。受注が増えれば操業を許可して夜勤体制をとり、従業員を増やすのがよさそうな気がするが、ところがどうしてうまくいかない。1930年代初期までの飛行機生産と軍備拡張時代の大増産体制とでは、飛行機の作り方そのものに天と地ほどの違いがあるからである。

 1930年代~1930年代初期までの軍需産業にとって厳しい時期に、細々と受注をこなしていた各社は、その製品がなんであれ、少数生産に対応した設備、方式を採用していたものである。乱暴に言ってしまえば少ない受注を食い延ばして暮らしていたわけで、そこから一転、大増産に向けて動き出すには、さまざまな変更を加えなければならないのがお分かりいただけるだろう。その一例が、工具の問題である。発動機には金属を削る切削工具が重要であるし、金属製の機体の生産にはプレス工具も必要である。今まで年間50機、100機のレベルで生産していた飛行機の生産を一気に数倍に上げるためには、こうした工具の選定と加工工程の一新が必要で、まず各社の増産計画はここで躓くこととなる。発動機生産にかかわる切削工具の話を例にとれば、少数生産の時代には安価で品質の低い工具でコストを下げ、少数生産による生産性の低さをそこで吸収していたのであるが、ある限界以上の大量生産を行おうとした場合、寿命の短さと加工時間の長さでかえってコストが上がる結果となる。一方、レアメタル製の高性能な工具は効果であるため少数生産ではコストがかかりすぎるが、大量生産を行う場合には寿命が長く、高速で作業が可能なため時間の短縮につながり、結果としてコストを下げることができる、という塩梅である。しかしながら、加工時間が変わるということはすなわち、加工工程そのものを組み立てなおさないとある地点で作りかけの製品が滞留したり、または反対に機械が遊んでしまったりしてしまう。そうならないよう、適正な工具、加工法、手順などを決める作業、ツーリングをするのである。さらに高性能の工具を採用する場合、多くの旧式の機械を更新する必要があり、非常に手間がかかるのだ。さらにその上、当然グループ化された企業にもそれを提供し、生産の足並みをそろえる必要があったのである。

 機体についての問題はなおのこと厄介で、現有の英軍用機は金属骨格に羽布張りの複葉機がほとんどであったが、航空省の要求にある新型機のほとんどは金属外皮の単葉機であった。これは会社にとっては、新規事業開始と同じくらいの投資を強いるほどに工作方法が異なり、さらには可変ピッチプロペラ、フラップ、引込脚、引込尾輪など今までにない新機構が採用されているため、これらを内製、もしくは外注しなければ製造はままならなかった。WWII中の英軍機にいつまでも複葉機が残った理由のひとつには、これらの転換が、製造会社の中でもとりわけ小さな会社において停滞したことも上げられる。小規模会社の集合体であるイギリスの航空機工業界のマイナス面はこの辺りにあり、フランスのような国営化、ドイツのような半国営、日本のような軍からの出向、企業支配などはあまり見られない一方、統制は取れていないのである。あくまで航空機工業界全体はそうした国営化には反対で、航空省の進めるグループ化や「シャドー計画」なども、国営化の前兆としてきわめて警戒している。そのうえ、この大量生産計画の規模自体、全英の工業界にとって前代未聞のものであったことにも注目したい。各製造会社では、休止していた工場の再開や、新工場の建設に取り組むものの、どれだけ広い工場を建てれば十分なのかわからないという事態が発生する。やったことがないからわからない、という領域に業界丸ごと踏み込んでしまったのである。

 さて、苦労に苦労を重ねて、がたがたになりつつ、また一方では新型機、一方では後世の物笑いの種になるような旧式機を送り出しつつ増産時代へ突入したイギリスの航空機工業界であるが、その失敗や苦労の話はともかく、仮想敵国のドイツと比べればどうだったのだろうか。ドイツの脅威から始まった軍備拡張であるから、ドイツと比較しなければ成果が出たのか出ていないかの論議は始まらない。さて、開戦後の英独航空工業の実績を比較すると以下のようになる。

就業者数

1940年

イギリス 97万3000人      ドイツ 約100万人

1941年

イギリス 125万9400人      ドイツ 185万人


生産機数

1940年

イギリス 1万5049機       ドイツ 1万247機

1941年

イギリス 2万94機        ドイツ 1万1776機


生産機総重量

1940年

イギリス 5千900万£      ドイツ 不明

1941年

イギリス 8千700万£      ドイツ 6千800万£


発動機生産量

1940年

イギリス 2万4047基      ドイツ 1万5510基

1941年

イギリス 3万6551基      ドイツ 2万2400基

 イギリスが生産機数でもドイツを上回り、その就業者数を見ればわかるとおり、ドイツよりはるかに生産性の高い体質を見につけていることがわかるだろう。1941年の発動機生産量の差を見るだけでも、もはや戦争の行く末は決まったも同然である。イギリスは旧式機と失敗作の山を築き上げつつも、航空機工業界を対独戦に勝てる体質にまで引き上げることに成功したということで、戦争の勝敗は1930年代後期の行政手腕の成否ですでに決まっていたといえるだろう。この点ではドイツは落第点であった。逆説的に言えば、英空軍は、旧式機、失敗作揃いであるからこそ、優秀なメッサーシュミットやフォッケウルフを持つルフトヴァッフェを下せたといえるのである。この点において英国の回答はまさに正解であり、その結果としての英軍用機の旧式、失敗作の多さを誰が笑えるのだろうか。


これにて「なぜWWII前後のイギリス航空機は「英国面」か 」シリーズは終了です。

次回は未定ですが、塹壕戦から始まって、ソ連の縦深戦術までの経緯でもまとめようかと思います。では。

とあるミリオタの覚書

適当にネットの海や各種書籍で得たうんちくを垂れ流すだけのものです。 基本自分で読むために書きます。 どこかで見たような内容が散見されるのはご愛敬。

0コメント

  • 1000 / 1000